バチェラーから考える!母の幸せは子どもの幸せか?
ゆきぽよちゃんがテレビに出始めてから、ゆきぽよちゃん目当てで見始めたバチェラー。
1人のハイスペック男性に対して20人の女性がアプローチし、1人の結婚相手を選んでもらうという企画もの。
はじめは設定に嫌悪感しかなかったのですがw、今となっては配信費に欠かさず見ています( *´艸`)w
シーズン3ではなんと、シングルマザーさんも参加されているんですよね!
しかも12歳の息子さんということで、母としては大先輩のシングルマザーの田尻さんが無性に気になり、今回は田尻さんをテーマにしたブログとなっています( *´艸`)
テーマはずばり「母の幸せは子どもの幸せか?」
世の中のお母さんは考えたことがある方もいるんではないでしょうか?
今回はこれをテーマに持論を熱く語っていきたいと思います(;'∀')
母の幸せと子どもの幸せには関係はあるのか
親の笑顔は子どもに伝染する?
「お母さんが笑顔だと子どもも笑顔になる」という話を聞いたことがある方も多いのではないでしょうか?
子どもが小さいときは特に、子どもは親を見て育つわけなので、親が笑っていないと、子どももあまり笑わないということもあるのかもしれないですね。
私自身も実感値としてこれは持っています。
生後半年くらいが経った頃、離乳食も始まり、あたふたとする中で私自身たぶん笑顔が減っていたと思います。
そんなとき、ふと面白いことがあって大笑いしたときに、子どももにこ~と笑ったんですよね。
その笑顔がまぶしく、そして久しぶりに見た気がして、「あ、私、最近笑ってなかったんだな」と思い知らされました(..)
それからなるべく笑顔でいようと心掛け、今1歳半を過ぎたころですが、本当によく笑う子に育ってくれています。
まあすべてがそのおかげかというと違うかもしれないですが、生後半年の経験があるので、少なからず影響はあるんだろうなと感じています。
親のあふれる幸せで子どもも幸せになる?
関連記事を見ても、親の幸せと子どもの幸せには関係性があるというものが多く見られます。
自分をしあわせにすることで自分から溢れるしあわせが子どもをしあわせにしていると感じています。
母親はそうあることが仕事だとも思います。
母親に限らず誰だって、そうなんですけどね。シャンパンタワーの一番上が自分。
自分に注ぎ続けたしあわせが夫や子どもに注がれ、社会へと流れていくのです。自分より先に子どもを満たそうとすればするほど、自分は削られていきます。
原理的に、子どものしあわせで自分をしあわせにすることは不可能なのです。
子どもを幸せにする母親と不幸にする母親のたった一つの違い|引き寄せないから引き寄せる量子論講座
古き良き時代の母親が持っていそうな、「犠牲の心」は自分が削られてしまい、結局子どもの幸せにはならないということですね。
確かに、「この子のためにこんなに頑張っているのに、どうしてわかってくれないの!?」と思って子どもにあたってしまったこと、確かにあります(..)w
これは確かに子どもの幸せにはつながっていないですね。。反省(..)
「子どものため」も「自分のため」もすべては自分が決めたこと
子どもを愛するがゆえに陥ってしまう、自己犠牲の精神からの思い通りにならない子どもへの無駄な怒りのサイクル。
これを防ぐために、私が常に気を付けていることは「すべては自分が決めたこと」と思うようにすることです。
本当に自分ファーストでいるときはいいですが、母である以上、常に自分ファーストでいることはできないと、私は思います。
極端な話ですが、1歳の子どもを1人にして飲みに出かけることなんてできないですからね!
そういうときはどうしても「我慢」や「自己犠牲」が必要なんだと思います。
でもそれを「子どもがいるから我慢しないといけない」とか「子どものために自分を犠牲にする」とか思わないことが大切だと思うんですよね。
だって、極論「子どもを産むって決めて、実際に産んだのは自分でしょ」という話です。
子どもがいれば、これまでのように好きな時間に好きなことをして自分ファーストでわがままに生きることが制限されるのなんてわかるわけですしね。
でもその生き方を選んだのは「自分」なわけで、自分が決めたことはきっちりやろうという当たり前の精神だけあればいいんですよね。
その決断に子ども自身は関係ないわけです。
「自己犠牲」自体は悪いことではないと思います。
ただそれを「子どものために」「子どもがいるから」と主体を子どもに向けるのは違うんじゃないかなと。
いつでも主体を「自分」におけば、無駄に子どもにあたることは避けられるし、お互いにHAPPYでいれる1つの方法なんじゃないかなと思っています♡
母の幸せと子どもの幸せは必ずしもイコールではない?
ということで、私自身は「母の幸せは子どもの幸せにつながる」ということには総論賛成なわけです。
ただ、バチェラーを見ていてこれって、必ずしもそうなのか?と疑問に思ったんですね。
親の事情と子どもの事情が異なる場合は必ずしもイコールではない?
バチェラーに参加されていたシングルマザーの田尻さんは、母が結婚して女として幸せになることは、子どもにとっても幸せなことと考えていることがお話から読み取れました。
ただし結婚ともなれば親と子どもで事情が違うんじゃないかと思うんですよね。
子どもからすると、もちろんお母さんが幸せになること自体はきっとうれしいと思います。
でも子ども自身にとっては新しいお父さんができることなので、相手選びにおいて「自分のお父さんとしてどうなのか」という視点が入るべきだし意見も共有すべきだと思います。
私が気になったのは、「母親の幸せが子どもの幸せ」と決めつけてしまうと、相手を選ぶ際に母親の視点しか入らないんじゃないかなということ。
結婚となれば、子ども自身にもめちゃめちゃ影響を及ぼすことなのに、その意見をくみ取ることさえしないのは違うのでは?と田尻さんの発言に違和感を覚えてしまったんですね。
私としては、母親の視点だけじゃなく子どもの父親を選ぶ視点も入れてあげて、家族として意見を持ちより合意するというプロセスがやっぱり絶対必要と思ってしまうんですよね…。
もちろん、田尻さんは良いお母さんな感じだったので、「母親の幸せは子どもの幸せ」と言いながらも、きっと本当に結婚となればきちんと息子さんとも話し合うとは思うんですけどね!
「母の幸せは子どもの幸せ」を完全に信じるのは怖い
今回のケースはバチェラーの話でしたが、これを信じ込みすぎて子どもが置いてきぼりになってしまうというのは陥りやすいことなのかなとふと思いました。
以前にニュースでも、働くお母さんが作った保育園の話題で同じようなことがありました。
「働くお母さんが楽になって笑顔が増えれば子どもも幸せ」ということで、延長保育料を安くするとか、延長保育時間を長くするとか、(すみません詳細は忘れました…)いう話を園内で議論したところ、子どもファーストな保育士さんから反論されるというのがやっていました。
保育士さんいわく、子どもからしたら、一刻も早く迎えに来てほしいはず!
そんなことをしたら、親子でいる時間が短くなってしまうということですよね。
それぞれの親子にとってベストな形を探す努力が大切では?
実際子どもを保育園に入れて働いている私としては、まあどちらの意見も「そうだな」と共感するところではありますが…
でもあまりに親都合で都合よく考えすぎるのは良くないなと思います。
「親の幸せは子どもの幸せ」もちろんそれも正しいとは思います。
でもそれを盾にして自分勝手、すべて自分都合でふるまってはいけない。
常に自分の行動を客観的に見ていきたいし、きちんと子どもとも向き合っていくことが大切だと思います。
親子にとってベストな形は家庭ごとに違うと思います。
よく言うように、子育てには正解がない。
だからこそ家族できちんと向き合って話し合って、これからも家族にとってベストな形を選択していきたいなと思っています(#^^#)
まだまだ新米ママの生意気な意見ですが、共感いただけると嬉しいです♡
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